第41回:世界一の庭園デザイナー/路上花屋から世界ナンバーワンへ
IDEAストーリー
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本日のゲストは、株式会社石原和幸デザイン研究所 代表取締役 石原和幸さん。
株式会社石原和幸デザイン研究所は、「花と緑で笑顔をいっぱいに」というテーマでガーデニング事業を行っています。代表取締役で庭園デザイナーである石原さんに、事業内容や起業に至るまでのストーリーをお伺いしました。
「全国各地の庭づくりを手掛ける」
松本:現在、どういった事業をされているのか自己紹介をお願いします。
石原:私は庭園デザイナーとして、庭づくりを仕事にしています。1ヶ月に50件、年間600件の庭づくりを10年以上行っております。庭づくりは自宅の庭だけに留まらず、商業施設などの大きな庭づくりも携わっており、安比高原(岩手)や、九州産業大学(福岡)、香椎花園(福岡)、イオンモールライカム(沖縄)など、事業範囲は全国に渡ります。サッカー日本代表の長友選手が結婚式を挙げられました、恵比寿ウェスティンホテルの庭園も私が担当させていただきました。
「インターネットを通じて、世界中から依頼がくる」
松本:依頼はお客様から問い合わせがくるのですか?
石原:弊社は営業マンがおらず、100名の職人と20名の社員によって成り立っています。私自身が「英国チェルシーフラワーショー」という庭師の権威あるコンテストで金メダルを受賞したこともあり、それを知った方がインターネットを通じて、お仕事の依頼をいただくことが多いです。日本だけでなく、中国やイタリアなど、幅広い国からの問い合わせもあります。
「地産地消の庭づくり」
松本:庭づくりのこだわりはありますか?
石原:地元の植物や木々を利用した「地産地消」の庭づくりをこだわっています。例えば、関東エリアだったら関東エリアに自生している植物を使用したりしています。その土地の植物を使用することで、そこに住んでいる鳥たちが庭に集まってくるなどの効果も生まれ、庭自体が生態系の一部になり、季節を感じることができるということも考えています。
「庭づくりを通して、経済効果を生みたい」
松本:国際ガーデニングショーの最高峰「英国チェルシーフラワーショー」で金メダルを受賞されて感じたことはありますか?
石原:イギリスで開催される「英国チェルシーフラワーショー」という花と緑のコンテストで2006年から3年連続で金メダル受賞し、2012年から6年連続で、ア-ティザンガーデン部門で金メダルを受賞させてもらいました。このコンテストは、エリザベス女王に庭を見ていただいて、メダルの色を決めるという、105年続く歴史あるコンテストです。一般公開の4日間で世界中のセレブが約20万人集まる、花と緑の最高峰のガーデニングショーと言われています。出展費用は億単位かかり、スタッフは約2ヶ月イギリスに滞在し、庭づくりを行うという過酷なもので、そこで金メダルを受賞させていただいたのですが、日本での認知度はまだまだだと痛感しております。例えば、建築の世界であれば、隈研吾さん、安藤忠雄さん。お笑い芸人だったら、明石家さんまさんなど、ぱっと名前が浮かんできますが、庭師と言われても名前を挙げられる人は少ないと思います。これから、庭師という認知度を上げて、ガーデニングという市場が大きくなり、経済効果を生みだせればと思っています。
「幼少期はオートバイレーサーで世界一を目指していた」
松本:幼少期はどういう夢を持っていたのですか?
石原:小さいころはオートバイのレーサーをやっており、世界一を目指していました。しかし、近眼になって、プロとしてはやっていけないと思い、大学で2級整備士の資格を取り、現在のマツダ、東洋工業に就職しました。整備の受付や板金の見積もりなどの仕事を行いながら、生け花に出会い、これは人生をかけられるものだと直感し、本格的に生け花を習い始めました。
「生け花の芸術に惚れ込んだ」
松本:生け花のどういうところに魅力を感じたのですか?
石原:私は「池坊(いけのぼう)」という流派なのですが、真(しん)、副(そえ)、体(たい)と呼ばれる3本の枝で風景を作ります。植物で風景を作りだす芸術に魅力を感じ、この道に進みたいと直感しました。その後、整備士として働きながら、勤務後に生け花教室に通い始め、もっと美しく生けたい、かっこよく生けたいという願望が強くなりました。
「花屋の路上販売で商売のいろはを学ぶ」
松本:商売の知識はどこで学んだのですか?
石原:独立する前に路上販売の花屋で修業しました。給料はいらないから修業させてくれと頼み込み、修行がスタートしました。そこでは、お客様に声をかけるタイミングで売れ行きが変わること、花を梱包するときはゆっくり包み、他のお客さんの目を引くことなど、商売についての様々なことを学びました。一番感じたことは、商品は花じゃなくて自分だということです。一生懸命接客していると、お客さんが差し入れを持ってきてくれたり、花を買いにくるというより、自分に会いにきてくれることが本当の商売だと感じました。
「自宅を改装して花屋を開業」
松本:その後、独立するのですか?
石原:長崎の実家が農家をやっているのですが、畑に花が咲いていましたので、それを販売するために自宅の牛小屋を改装して花屋を作りました。しかし、長崎大水害により、全部壊れてしまい、その後は、花を売りつつ、朝昼晩と違う種類の花屋さんで勉強しながらアルバイトをするという生活が続きました。
「愛が溢れる素敵な花屋を作りたい」
松本:どれくらいアルバイトを続けたのですか?
石原:4、5年続けました。結婚も考えていたので、30歳までにはちゃんと独立し、愛が溢れる素敵な花屋を作りたいという夢が膨らんでいきました。結婚したいと家内の実家に挨拶に行ったものの、当時、私は花屋の路上販売でしたから、娘はやれんと断られたのですが、無理矢理結婚するかたちになり、これは独立しないといけないとう気持ちがますます強くなりました。生計を安定させるために、いろいろと考えた結果、立地のよいビルの谷間の自動販売機がある場所を借りて、そこを改装して、本格的に花屋として独立することになりました。バブルだったこともあり、長崎を中心に80店舗まで拡大し、5年で約40億円売り上げることができました。
「海外生産で失敗する」
松本:その後は事業を拡大することになるのですか?
石原:独立後すぐに億単位の売上が達成できて、この売上が永遠に続くと思っていたら、バブルが崩壊してしまいました。その後、40歳くらいのときに、大手商社と合弁会社を作り、ベトナム、中国でバラの生産を始めました。そこには、花を格安で販売し、花屋のユニクロになりたいという思いがあったのですが、中国から依頼した花が届かないなどのトラブルが続き、借金ができてしまいました。
「楽しかったと言える人生にしたい」
松本:借金を抱えると事業をやめてしまいそうですが、続けたのですか?
石原:借金を抱えてしまったころ、長崎の父が末期がんで倒れてしまい、花の生産もやめ、売上も落ち、店舗も売却することになりました。その後、父の看病をするために長崎に戻りました。父は原爆被爆者であり、当時働いていた会社も焼けてしまったのですが、牛を飼いながら毎日働き詰めで家族を支えており、私は働いている父の姿しか見てこなかったのですが、死ぬ瞬間は家族全員に「楽しかった。ありがとう」と言いながら最期を迎えました。一生懸命に自分の人生を終えた父の姿を見て、かっこいいなと思い、自分も好きな花でもう一度勝負したいと奮起し、長崎の思案橋で小さな花屋を開き、再度花屋として挑戦することになりました。
「やったことがないことも挑戦してみる」
松本:その後は軌道に乗りましたか?
石原:店舗展開していたころは、自分自身が責任者という立場だったため、販売の現場から離れていたこともあり、お客様のニーズを掴めていないことがありました。しかし、長崎の小さな花屋で対面販売をすることで、お客様の声を直接聞くことができ、売上も伸びていきました。また、花を仕入れて、車にたくさん乗せて、ガソリンスタンドに寄った際は、ガソリンスタンドのスタッフにも花はどうですかと声をかけ、ありとあらゆるところで花は売れると実感しました。そして、あるとき、お客さんから「石原君は庭を作れるの」と聞かれて、作ったこともないのに、「得意です」と返事をし、そこから庭づくりを習い始め、最初は製作費10万だったものが100万になり、500万になりと、どんどん客単価が増えていきました。借金の返済に追われていたということもありますが、仕事の幅を広げるためには、やったことがなくても挑戦することが大事だと感じました。
「テレビチャンピオンに出場する」
松本:やったことのない庭づくりが評価されたところはなんだと思いますか?
石原:私の庭づくりがお客様に響いた点としては、生け花を習っていたからだと思います。普通は庭師の人は花のアレンジが苦手で、花屋は庭づくりができないんです。私はちょうどそこが合わさったのでお客様から評価していただいたと感じています。その後、知名度を上げるために、テレビチャンピオンのガーデニング選手権に出ようと思い、普通はテレビ局からオファーが来るのですが、私はスタッフに「長崎に庭づくりの天才がいる」と何度も電話させました。すると、テレビ局から、「石原さん、もしかして、自分で電話かけているでしょ」と言われてしまったのですが、面白いから特別にということで、今から18年前にテレビチャンピオンに出場しました。優勝はできなかったものの話題にはなりましたが、世界一になりたいという夢を叶えるために、次は「英国チェルシーフラワーショー」だという思いが強くなりました。
「世界最高峰の舞台に立つために自ら動いた」
松本:海外のコンテストに出場するためにどういう行動を取ったのですか?
石原:「英国チェルシーフラワーショー」に出たいと思い、実際にコンテストを見に、イギリスに行きました。何億円する庭がバーっと並んでおり、天地がひっくり返るような世界を目の当たりにしました。今の技術で出場してしまうと、レアルマドリードと高校生がサッカーをするような差があるなと感じ、これは駄目だと思い帰国したのですが、長崎という小さな町ですから、イギリスに行ったことが広まっていて、ついつい出るんだと強気発言をしてしまい、引くに引けない状態になってしまいました。ただ、海外のコンテストですから、そもそも出方が分からなかったのです。そこで、英語ができるアルバイトを雇い、エリザベス女王主催なのでバッキンガム宮殿だということで電話してもらいました。すると、ここはコンテストの担当じゃないということで、担当の電話番号を教えてもらい、「日本にすごい天才がいる」と電話しました。資料を送ってくれということになり、地元ローカル新聞に掲載された記事をはじめ、これまで手掛けた作品の写真をみかん箱いっぱいに送ったところ、主催者から分厚い資料が届きました。私はその資料を出場決定通知だと思っていたのですが、ただの申込書だったのです。しかし、その申込書を貰えたことは第一歩だということで、コンテストの舞台に立つために、英語ができるアルバイトを雇い、電話をかけてもらうなど、自ら行動できたことは、今の私がある大きなポイントだったと思います。
「資金集めに苦労する」
松本:出場するための条件などはあるんですか?
石原:スポンサーなどを決めて、申し込みをするのですが、その他にイギリスに渡り、庭づくりを行うための資金を準備できるかが課題でした。20人ほどのスタッフも同行するため、スタッフの旅費なども含めると、5,000万以上必要だということで資金調達を始めました。しかし、知り合いなどに、「今度、チェルシーフラワーショーに出るからお金を出してほしい」と言っても、そもそもコンテスト自体の知名度を知らないので、お金を出してもらえるはずもなく、最終的に家族の批判を受けるも実家を売却し、イギリスで庭づくりを行うための資金を準備しました。
「東京に進出し、本格的に軌道に乗る」
松本:金メダル受賞後は周りの反応は変わりましたか?
石原:金メダルを受賞したあと、周りがワーっと驚くかなと思ったのですが、長崎ではそうはならず、このままでは何も変化がないと思い、東京に出ることを決意しました。3,000万円ほどの資金を手に持ち、10年頑張って、駄目だったら帰ってこようという思いで、東京に事務所を構えました。バーに毎日飲みに行っていたら、隣の席でバーのリニューアルの話をしているのが聞こえ、「英国チェルシーフラワーショー」の写真を見せ、庭を作れますとアピールすると、すぐに5,000万円の受注が決まりました。その後、お寿司屋さんやビルなどの依頼もいただき、東京で軌道に乗ることができました。
「謙虚さを大切にする」
松本:世界で戦って気付いたことはありますか?
石原:まず、トップデザイナーというのは自分の作品を提案できる提案力を持っています。そして、一流のデザイナーはお洒落ということです。自分自身が商売道具のようなものなので、技術も大事ですが、自分の技術をどうアピールできるかが評価に繋がると、世界で戦ってみて感じました。そして、世界一という称号を手にしても、偉そうにするのではなく、お客様あっての仕事ですから、謙虚な姿勢を大切にしていきたいと思います。
「好きなことはタダでも受ける」
松本:起業したいが、どういった分野に進もうか迷っている方にアドバイスをお願いします。
石原:やはり好きなことが一番だと思います。例えば、絵が好きだとして、フランスで絵を習ったり、有名な芸術大学を出たとアピールすることもいいのですが、たとえ報酬がなくても、頼まれたことをタダでもいいからやってみることで、自分の仕事をアピールする場を増やしていくことが大事だと思います。アントニ・ガウディは100年かけても完成しないサクラダファミリアの受注に成功しているのですから、仕事のチャンスを逃さず、提案力があったのだと思います。なので、受注金額が低かったとしても、そこで何かチャンスを掴むことで何か次に繋がると思って頑張ってほしいと思います。
「ゼロから何ができるか考える」
松本:起業時の資金はどのくらい用意したほうがいいと思いますか?
石原:私は借金もありながらなんとか経営を安定させることができましたから、最初にお金はあまりいらないと思っています。例えば、プログラマーになりたいとすると、タダでもいいからプログラムの仕事をして、生活費はコンビニでアルバイトするなど、やり方はいろいろあると思います。開業資金を借りたからといって、結局何かに使って終わってしまうので、ゼロから何ができるか発想するということが成功の秘訣だと感じます。
「ガウディのサクラダファミリアを超えたい」
松本:今後の事業展開、仕事上での夢を教えてください。
石原:ガウディは建築界の最高峰と言われています。サクラダファミリアには観光客がたくさん来ますよね。僕は今59歳ですが、死ぬまでに「石原の庭を見たい」と世界中の観光客が押し寄せるような作品を作り、町おこしをしたいと思っています。ガウディのサクラダファミリアを超えるような観光地となる庭を世界のどこかに作れる庭師になりたいという夢があります。
「やると決めたら、突っ込んでいく」
松本:最後に起業を考えている方へメッセージをお願いします。
石原:やると決めたんだったら、後ろは振り返らず、突っ込んでいってほしいと思います。何をやるか決めるまでが大事ですが、それでお金がいくら必要など変に考えずに、ゼロから何を生みだすか考え、ゼロからできなかったらやめるくらいの気持ちを持ってほしいと思います。
起業におすすめな本/社長の「1冊」
すべては無許可で開いた路上花屋からはじまった―。幾多の逆境をはねのけ、世界を舞台に伝説をつくりあげられたのは目の前のお客さんを喜ばせることだけを考えて、一本の花、ひとつの苔にありったけの思いをぶつけ続けてきたから。ランドスケープアーティスト・石原和幸の仕事論。
株式会社石原和幸デザイン研究所 代表取締役 石原和幸 庭園デザイナー
22 歳で生け花の本流『池坊』に入門。以来、花と緑に魅了され路上販売から店舗、そして庭造りをスタート。
その後、苔(こけ)を使った庭で独自の世界観が国際ガーデニングショーの最高峰である「英国チェルシーフラワーショー」で高く評価され、2006年から3年連続金メダル受賞後、2012年から6年連続で、ア-ティザンガーデン部門で金メダルを獲り続け、獲得した金メダルは9つ、さらに部門内1位に贈られるベストガーデン賞とのダブル受賞は4度果たし、2016年大会では出展者では最高賞のプレジデント賞を受賞した。
日本の玄関口でもある羽田空港(第一ターミナルビル内)に受賞作品「花の楽園」を再現、東北をはじめとする日本の風景の美しさをアピールし続けている。全国で庭と壁面緑化事業を展開し環境保護に貢献すべく活躍中。
株式会社石原和幸デザイン研究所
http://www.kaza-hana.jp/