第42回:パデルを日本・アジアに広め、パデルの楽しさを伝えたい!
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本日のゲストは、株式会社Padel Asia、代表取締役、玉井勝善さん。
株式会社Padel Asiaでは、パデルというスポーツを日本やアジアで広げるための事業を行っています。代表取締役を務める玉井さんに、事業内容や起業に至るまでのストーリーを伺いました。
「スペイン発祥のスポーツ、パデル」
松本:どういった事業をされているのか自己紹介をお願いします。
玉井:弊社では、パデルというラケットスポーツの施設運営事業を行っております。パデルとは、スペイン発祥のスポーツでテニスと似ているのですが、コートサイズがテニスより小さいことや、コートがガラスと金網に囲まれてていて、ボールが散らばらないということ、ラケットが卓球のラケットのように持ち手が短く打ちやすいということが、テニスとの大きな違いです。
長いラリーが続き、テンポも早いので見ている人も楽しめるということも魅力の一つです。そんなパデルを日本やアジアに広めたいという夢を持って事業を行っています。
「ヨーロッパや南米ではすでに普及している」
松本:パデルは世界では有名なんですか?
玉井:世界では15年間で急激に競技人口が最も増えた球技として話題になっています。スペインはテニス王国として有名ですが、パデルの競技人口がテニス競技人口の4倍にもなるくらい普及しています。アルゼンチンではサッカーの次に競技人口が多いのがパデルと言われており、公園にもパデルコートが設置されている人気ぶりで、ヨーロッパや南米では普及が進んでいます。
「日本ではまだまだ認知度が低い」
松本:日本ではどういう普及状況なのですか?
玉井:国内は、東京の練馬、埼玉の川口、所沢、大阪、三重、奈良、京都と7箇所しかありません。パデル自体、日本に入ってきたのが2013年10月ですから、まだ浸透していないのですが、これから、私たちの事業を通じて、日本国内やアジアに普及していきければと思っています。
「観客も一緒に楽しめるスポーツ」
松本:パデルの魅力はなんですか?
玉井:一言で言うと、エンターテインメイント性です。パデルコートは金網で囲まれており、コートから30センチという近さで臨場感を感じながら観戦できます。弊社では、試合をしている横でバーベキューをしながら、お酒を飲んだり、プレイヤーも観客も楽しめるようなイベントを行っております。試合をする人だけではなくて、観客も一緒に楽しめるというのがパデルの魅力です。
「社員全員がバーベキューインストラクター」
松本:月にどれくらいのお客さんが来るのですか?
玉井:来場客数は月間500人から700人くらいです。ネット予約も可能で、たくさんの方にご利用いただいております。一番人気は弊社が主催する、バーベキューをしながら、パデルを楽しむ「肉パデ」というイベントです。日本で唯一だと思うのですが、社員全員がバーベキュー協会認定のインストラクターということもあり、どの社員が肉を焼いても同じ品質を提供できるという特典があります。
「テニスでプロになりたいと思った」
松本:幼少期は何をしていたのですか?
玉井:小学校と中学校は野球をやっていました。高校からテニスを始めたのですが、それまでの野球という団体競技から一転して個人競技となったのですが、団体競技と違い、自分自身が頑張れば頑張るだけ成績が伸びるというところに魅力を感じました。
その後、本気でプロを目指そうと思い、学校に行く前にテニスクラブ、放課後は学校のテニス部、夜はまたテニスクラブで練習するという日々が続きました。結果、県でベスト4まで進み、大学からも推薦の声もかかったのですが、周りのレベルの高さを知り、高校でテニスは辞めました。
「ニュージーランドでワーキングホリデー」
松本:その後、大学に進学したのですか?
玉井:大学に進学し、就職活動の時期になったときに、スーツを着て会社説明会に行くことを疑問に思ったのです。このまま社会人になるのは嫌だと思い、友達が海外留学したという話を聞き、自分も海外に興味を持ち始めました。
そして、大学を休学して、アルバイトを四つほど掛け持ちしながら、海外留学資金を貯め、大学3年生のときにワーキングホリデーとして、ニュージーランドに行きました。言葉も喋れない状況でしたが、生きることはどこでもできるんだと知れたことが、起業したことと繋がっていると思います。
「初めてのカジノで大儲けした」
松本:ニュージーランドではどのような経験をしましたか?
玉井:ニュージーランドに降り立ったときは、20万円ほどしか持っていなく、初日にカジノに行きました。1万円ほど掛けて惨敗したのですが、その帰りに空港使用税で余ったドルを何気なくスロットに入れて回したら、大当たりで、日本円で300万円くらい勝ってしまいました。そこから調子に乗ってしまい、ギャンブル漬けの日々で負け続け、残りのお金が100万円になったときにギャンブルはやめて、70万円ほどの車を買い、堅実に生きようと決めました。
「サラリーマンをやりながら起業のことを考えていた」
松本:1年留学したあとはどうされたのですか?
玉井:父が広告代理店を経営していたので、将来その会社を継ぐことを考えて、大手印刷系のIT企業に就職しました。しかし、仕事に面白味を感じられず、自分で起業したいという気持ちが強くなり、サラリーマンをやりながら、起業の準備を始めて、1年半でその会社は退職しました。
「事業にかける強い思いを持つことが大事」
松本:退職して、独立したのですか?
玉井:独立しようと思っていたのですが、同じ会社に当時、伝説の営業マンの異名をもつ先輩がいたのですが、その先輩も退職して起業するというタイミングでした。
先輩から「自分で独立したいと聞いたけど、起業の仕方分かるの?」と聞かれ、「分からないですけど、気合いで何とかします」と答えたところ、うちで働いてみないかと声をかけていただいて、新規事業立ち上げの仕事を取締役という立場でさせていただくことになりました。
そこでは、何か新しいことを始めるときには成功法はないので、誰か一人でもその事業にかける思いが強い人が必要だということを学びました。そういう思いの強い人がいることで周りが引きつけられ、資金なども集まりやすいと学びました。現在のパデル普及事業も、お金儲けよりも、好きなことを広めたいという思いがあるので成り立っていると思います。
「勢いだけじゃ、世の中は動かない」
松本:その後はどうされましたか?
玉井:25歳くらいのときにモジュレ株式会社の取締役をやらせていただいたのですが、35歳くらいの脂の乗った方々と一緒に仕事をしていると、自分自身の経験のなさを痛感し、悔しい思いをしていました。若さでどうにかなると勢いだけはあったのですが、それだけでは世の中は動かないと確信し、もっと自分自身で何かしたいという気持ちが強くなり、2年半ほどでその会社は退職しました。
「起業前から人脈を作ることが大切」
松本:その後、起業されたのですか?
玉井:有限会社チアーズという、ITの営業のアウトソーシングを行う会社を起業しました。ITの商品を扱っていても、営業が分からないという企業向けに、営業を代行するという事業です。
最初は一人で立ち上げましたが、徐々に社員を増やしていきました。私は起業前から人脈づくりを行っていて、将来この人と仕事がしたいなと思った方には、私が主催する経営勉強会に参加していただき、信頼関係を作るということをしていました。
この勉強会は「ストームボードプロジェクト」と言い、嵐のなかの船という意味なのですが、いざ起業するとなったときに、これまでの人脈のなかから優秀な人をピックアップして、社員に誘うことができるという仕掛けです。実際に副社長となっていただいた方は、前職の年収が1,000万円近くあったのですが、私の事業にかける熱い思いに打たれて、年収が半分以下にも関わらず、入社していただきました。
「自分の思いをちゃんと発信できる人材」
松本:優秀な人の見分け方というのはありますか?
玉井:周りに影響が与えられる方は優秀だと思います。自分の思っていることや感じていることをちゃんと発信できて、人に影響を与えられる人材が欲しいというのは、起業した当時に思っていたことです。もう一つは、自分自身との相性がいいというところもポイントで、自分にはないものを持っているということも魅力的です。
「売上は伸びたが、挫折を味わった」
松本:チアーズは順調に売上は伸びたのですか?
玉井:売上は倍々ゲームで上がっていって、社員の数も増えていきました。その後、タイムライン株式会社という技術系の会社と合併し、株式会社SORAを設立したのですが、合併を機に社内の雰囲気が悪くなるという事態が発生してしまいました。
お互いに小さな会社だったので、それぞれの社長に魅力を感じ入社してきた社員が、代表も変わったり、仕事の体制なども変わったりということで、居心地が悪いと感じ始め、一気に退職してしまうということがありました。
なんとか社内を良い雰囲気にしようと頑張ったのですが改善できずに、ついには、タイムライン側の代表も辞めてしまう自体となり、私自身も精神的にも落ち込み、社長なのに会社に行くことすらできなくなってしまいました。売上は上がっているけど、社内の雰囲気は悪いということに1年半ほど悩み、最終的にコーチングを受け、自分の心を整理できて、なんとか復活できたという経験もあります。
「新規事業がうまく軌道に乗らない」
松本:売上は伸びているなかで新規事業も立ち上げたのですか?
玉井:SORAになり売上は現状維持から微増となり新規事業の必要性を常に感じていました。新規事業の立ち上げも行ったのですが、なかなか軌道に乗らず、結果が出ませんでした。
結果が振るわなかったなかでも、「ギフポン」というサービスが一番売れたのですが、これは名刺の裏にコーヒー1杯どうぞと書いてあり、コンビニでコーヒーと引き換えられるというサービスです。展示会やセミナーなどで社名が入ったボールペンやティッシュなどを貰うよりも、ギフトつきの名刺を貰ったほうが名刺の価値が何倍にもなるということで始めたサービスで一定の評価はいただきました。
「サービスにかける熱量が足りなかった」
松本:事業がうまくいかなかった要因はありますか?
玉井:うまくいかなかった要因はサービスにかける熱量が足りなかったことだと思います。当時は、優秀な人材を私の部下として専属でつけて、売上を上げるために儲かるサービスを探そうということばかり考えて、自分自身が本当に好きなものではなかったり、社員が熱い思いを持って取り組めるサービスではなかったことが失敗の原因だと痛感しています。今のパデル普及事業は心から楽しいと感じ、仕事なのか休みなのか関係なく、熱い思いを持って取り組めていると思います。
「自分の賞味期限を考えているときにパデルと出会った」
松本:パデルとの出会いを教えてください。
玉井:会社の経営に悩んでいたときが40歳くらいだったのですが、自分の賞味期限はあと20年ほどだなと感じ、このままITの仕事を続けていっていいのだろうかと疑問を持っていたときに、パデルというスポーツに出会いました。
当初はパデルというスポーツに興味はなかったのですが、お酒を飲みながら、バーベキューをやって、すごく面白いと感じ、そこから一気に熱中していき、パデルというものをビジネスにしたらどうなるんだろうということを毎日考えるようになり、起業への夢が膨らんでいきましたが、コートの建設コストなどお金がかかることなので、経営していた会社で新規事業としてやるのではなく、自分で独立してやりたいという気持ちが強くなりました。
「パデルと出会って半年で起業」
松本:パデルと出会ってから、今の会社を起業したいという気持ちが強くなったのですか?
玉井:そうですね。パデルをビジネスにしたいという思いが強くなってきて、これだけ面白いのだから、日本中に広めたいと思うようになりました。
プライベートでテニスのコミュニティは大事にしていて、私が管理人をやっている、ミクシィやフェイスブックの会員が5万人くらいいたので、そこで周知できると考え、起業に向けて準備が進み、前職の代表取締役を退任し、パデルと出会って半年後の2015年10月に今の会社である、株式会社Padel Asiaを設立しました。
「クラウドファンディングで資金を募る」
松本:パデルのコートなどを作る資金はあったのですか?
玉井:自分の資金と応援してくれる会社からの資金と、あとはクラウドファンディングで資金を集めました。クラウドファンディングは、1万円出していただいた方には、非売品のTシャツを配布したり、パデルのコートに出資者の名前を刻印するなどのお礼を返すリターン型というものを利用しました。
また、自分自身も本気を出すために、700万円集まらなければ、一銭も入ってこないという、All or Nothing方式でのクラウドファンディングにしました。資金を集めるために、ほとんど寝ずに、昼間はいろんな方に会って、夜はブログを更新するという日々が続きましたが、締切終了1週間前で250万円しか集まらないというギリギリの状態でした。
締切まで1週間と迫ったとき、ブログで「一生に一度のお願い」というタイトルで記事を書き、そこから一気に出資が集まり、最終的に758万円集めることができました。「一生に一度のお願い」という言葉を使うことには抵抗がありましたが、パデルという面白いスポーツを知ってほしいという思いが伝わった結果だと思います。
「周りを巻き込む営業力」
松本:パデルのコートを設置する場所は決まっていたのですか?
玉井:東京の新豊洲という場所でコートを作ろうと決めていたのですが、話がもつれ、最終的に使えないということになってしまいました。クラウドファンディングで資金を集めた時には、パデルは新豊洲でオープンすると記載していたため、とても焦りました。その後、なんとか別の場所を探さねばと、都内のテニスクラブの空いている駐車場を利用させてくれないかと飛び込み営業を60箇所ほど回りました。
すべて断られて、最終的に辿りついたのが、今の場所です。ここは会員制のテニスクラブで平均年齢が70歳ということもあり、これからの経営に課題を持っていた場所でもあるのですが、そこでパデルをやらせてくださいとお願いしたところ、最初は断られましたが、オーナーの息子で支配人の野田さんに実際にパデルをやっていただき、楽しさを感じてもらったことで、話が少し前進しました。
しかし、現オーナーの許可がなかなか下りず、最終的に2時間の会議をしたなかで、支配人が「玉井さんと一緒にやっていきたい!」と涙を流しながら現オーナーさんを説得してくれて、ここでの開業が決まりました。営業の際は、いかに事業にかける思いを伝え、周りを巻き込めるかが大事だと感じました。
「クラウドファンディングはファンを増やせる」
松本:それで今に至るわけですか?
玉井:そうですね。無事にオープンできたのも、支配人に思いが伝わったこと、そして、クラウドファンディングの成果だと思います。クラウドファンディングは資金を集めるということも目的ですが、周知効果も期待できると思います。
実際にお金を出していただいた方は、私が応援している会社、私が出資した会社ということで、知り合いを誘って、遊びに来てくれます。彼らが営業マンになってくれることで、PRコストは抑えられますし、かつ、お客さんとして購買もしてくれます。ただ単にお金を集めるのであれば、銀行などに融資をお願いしたほうがいいですが、ファンを増やすという意味でもクラウドファンディングはお勧めです。
「自分の近いところから起業のヒントを見つける」
松本:起業したいのですが、何の分野で起業するか決まっていない方へアドバイスをお願いします。
玉井:一番は今やっている仕事の延長や周りにいる方と一緒に組める仕事をやることがいいと思います。起業するからといって、新しいマーケットでうまくいく人はなかなかいないので、革新性がなくても、まずやってみるということが大事です。
今は新しいことをやらないと起業できないという風潮がありますが、やりたいことが見つからないときは、自分がやっていることで起業できないかと考えてみてください。例えば、今の会社と話をして、同じ事業内容で独立したいと相談してみることもありだと思いますので、まずは、自分の近いところに起業のヒントはないか探してみてください。
「起業のアイデアが思いついたら、資金は早めに調達する」
松本:最初の開業資金はどれくらいあったほうがいいですか?
玉井:一人でやるのであれば、半年間は売上がなくても食べていけるくらいの資金を用意したほうがいいと思います。
私は今の会社を起業した際、有限会社を作るためには300万必要で、手元に100万円ほどしかなく、残りの200万円は消費者金融から借りました。これはあまりいい方法ではないのですが、やりたいことが決まったけども、資金の調達に何年もかかるということであれば、銀行から融資を受けるなど、起業への思いが冷める前に資金は調達すべきだと思います。
「パデルの競技人口を100万人にしたい」
松本:今後の事業展開、仕事上での夢を教えてください。
玉井:2020年までにパデルの施設を20箇所、2030年までに120箇所、競技人口を100万人にするという目標を持っています。先月、東京都の東京都中小企業振興公社から弊社の事業の新規性、将来性を公式に認められ、特別な条件で融資を受けられる権利などを得ることができました。多くの方に知っていただく準備が進んでいますので、パデルを日本国内に広め、なおかつ、アジアナンバーワンの施設運営会社を作ることが当面の夢です。
「自分の夢は周りに発信する」
松本:最後に起業を考えている方へメッセージをお願いします。
玉井:起業することは体力、気力、資金がすべて整っていることが望ましいですが、絶対にすべて順調にいくということはないので、すべてが揃っていない状態でも一歩踏み出してみるということが大事だと思います。そして、自分がやりたいことを周りに発信する力が最も重要だと考えています。社長になって、こういう事業がしたいと、不安でも口に出すことでかたちになると思いますので、自分で腹を決めて、自分の夢を発信するということを起業する方へお勧めします。
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株式会社Padel Asia 代表取締役 玉井 勝善
岩手県宮古市で生まれ、神奈川県川崎市で小学校4年まで、小中高大学までを千葉県松戸市で過ごす。テニスとPadel&レゲエをこよなく愛する42歳。Padelというスペイン発祥のラケットスポーツに出会い一目惚れ。2015年9月末をもって14年間経営をしてきた株式会社SORAというIT企業の代表取締役を退任。Padel施設を運営する株式会社Padel Asiaを創業し代表取締役に就任。Padelの普及とアジアNo1のPadel事業者を目指し日々奮闘中。
アジア及び国内におけるパデル施設の運営
http://www.padelasia.jp/
一般社団法人 日本パデル協会 副会長
http://www.japanpadel.com/